残念、安田忠夫またも金銭トラブル、ブラジルは辞め

先日引退した安田忠夫が引退興行を仕切っていた安田忠夫引退興行実行委員会と決裂、決裂の理由は金銭トラブルという残念なニュースが飛び込んできた。

安田引退ポスター

かいつまんで書くと安田の金銭要求が日に日にエスカレートし引退興行の出場を担保に、主催者にたびたび金の無心を繰り返しなんとか引退興行を乗り切ったが、渡航費用である収益金を要求したり、カンボジアから条件の良いオファーが安田の心境に変化が生まれたとか、文章を見るだけで安田のダメさ加減は伝わってきます。

 

安田の態度にあきれた主催者の人は収益金を寄付するって書いていますが、安田の渡航費用という名目で祝儀的に高い料金設定にしていたはずなのに、寄付とかされるのはチケットを買ったファンは納得しないと思う、たとえパチンコに消えようが安田の手に渡れば納得すると思うが、寄付されるならチケット買ったファンの人に収益分を返還しないとだめだと思う。

主催者の方々に非がないと承知しつつも、不義理した安田を責めるのは簡単なんですが、不義理の根底に自殺歴があるので安田の精神状態が不安定なんじゃないかと思うわけで、常識的な対応で逃げ道をふさぐとブログに書いていたようにまた自殺するかもしれないので、心のケアを含めた対応を取ってあげてほしい。

しかし残念だ。

お詫びの報告という形で実行委員会のブログに状況がしるされています。

http://yasudatadao.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-0290.html

サイト閉鎖の可能性があるので以下全文転載します。

2011年3月 1日 (火)

【お詫び及びご報告】安田忠夫引退興行その後について

前略
2月4日の安田忠夫さんの引退興行への来場そして支援ありがとうございました。
本来ならばこれは、安田さんをブラジルに送り出すことになったという報告になるはずでした。残念な結果になったことをまずお詫びします。

安田さんの引退興行の経緯について、改めて説明させてください。今年11月末にマスコミ宛に以下の文章を送りました。

<安田忠夫さんとの出会いは、今年の七月のことです。
きっかけは、知人I(※石澤常光)さんでした。安田さんは、彼の実家の養豚場で働いていましたが、そこを辞めてしまい、行くあてがなくなってしまったという話を聞きました。
その後、私は仕事でブラジルに行く機会がありました。その時、知り合いの農場関係者に安田さんの話をしました。ブラジルの農場で、農業を手伝いながら、相撲を教えられないだろうかという軽い思いつきでした。
すると、「全く問題ないよ」と拍子抜けするほど簡単に答えが返ってきました。
帰国後、初めて安田さんと会いました。
彼は人見知りをするのか、最初話は弾みませんでした。そして、「自分はあと一年ぐらいで死にたい」ということを何度も口にしました。安田さんは、〝エアー焼き肉〟の過去があります。彼の口から出る「死」という言葉は、非常に重く感じました。
ブラジルで相撲を教えるという話になると、次第に安田さんの言葉が増えて行きました。
自分は相撲が本当は好きだ。ただ、日本では自分の経験を伝える場がない。またあったとしても自分のイメージが悪いので、教わりたい人はいないだろう——と寂しい顔でした。
その後、安田さんと何回か会っていくうちに、「日本以外の国で、相撲を教えてみたい」と前向きな言葉が出てくるようになりました。
ただ、日本を出て国外に行くには渡航費、当面の生活費などの資金が必要です。安田さんは、この時、所持金がほとんど零でした。これ以上借金もできません。
私自身、ジェロム・レ・バンナ戦など、安田さんの戦いに見入った人間の一人です。あれだけの結果を残した人間がこのまま朽ちていくのは、惜しいと思います。そこで、安田さんの引退試合を企画して、渡航資金を捻出することにしました。

「借金王」と呼ばれた、安田さんが金銭的に緩いことは理解しています。そのため、この興行の売り上げから経費分を除いた残りを、当社で管理し、渡航費、そして月々必要な金額を安田さんに渡すという約束にしました。>

私たちはプロレス興行どころか興行の経験もなく、手探りで進めなければなりませんでした。後楽園ホールの支払い等、試合開催に必要な資金は、Son-God-Coolで捻出しました。
試合の二週間前の段階では、二、三百枚しか売れていませんでした。そのほとんどは私たちの関係者でした。
「プロレスのチケットは売れない。いいんですか?」
試合を決める前に、ゼロワン(ファーストオンステージ)の方たちから言われたことを思い出しました。Son-God-Coolが借金を被ることは覚悟し たものの、出場を快諾して頂いたレスラーの方に恥ずかしい思いをさせてはならないと、安田さんと共に、「猪木酒場」などを廻り、必死で営業活動しました。
営業等では、早稲田大学の学生の力を借りました。プロレスラーとしての過去の姿をほとんど知らない大学生たちが、安田さんの新しい挑戦を応援しようと動いてくれました。
我々、実行委員、学生たち共に当然、一切の報酬を受け取っていません。
私たちが安田さんに約束したのは、二十三年一月から毎月五万円を四か月間支払うことでした。
というのも、安田さんと付き合いの長いみなさんはご存じかもしれませんが、お金が手に入るとすぐにパチンコや麻雀と言ったギャンブルにすぐにお金をつぎ 込んでしまいます。幸い、安田さんには東京での住居を提供して頂ける方がいました。最低限の食費として月々五万円でやりくりできる計算でした。

ところが——。
試合が近づくにつれて、安田さんの試合に対する〝思い〟が変化してきました。
「カンボジアのカジノから、一か月二千ドルで誘われている。そちらの方が条件がいいので行きたい」
私たちが考えているのは、安田さんと協力して、相撲を教えていく方向でした。
知り合いのブラジル人家族にお願いして、土俵を作る場所、安田さんの住居と日々の食事を提供してもらえることになってしました。
まずは土俵を作り、周囲の子どもを集める。道筋がついたところで、どのように安田さんの収入を作るか考えることになっていました。このやり方では、当然のことながら、いきなり月収の話をすることは不可能です。
私たちは、「もうすでにみんなが動き出しています。とにかく試合はやりましょう」と安田さんをなだめることにしました。
しかし、彼は納得しませんでした。
毎月五万円の支払いについても、
「安田は携帯代も支払えず止まってしまう。二ヶ月分、十万円を先に支払ってくれないか。ご飯をまともに食べられないと試合の準備もできない」
試合準備のためには頻繁に連絡を取り合うことが必要でした。
また、1日3試合をこなすにはきちんと練習してもらわなければなりません。そこで、一月十二日の記者会見の後、二ヶ月分として十万円を渡すことになりました。
安田さんからの金銭の要求はその後も続きました。
——自分の出場給は二十万円では安すぎる。五十万円を払ってくれないと出場しない。代理人を立てるので、彼と交渉してくれ。
彼の中では、私たちとの話はどこかに飛んでしまって、「出場給」にすり替わっているようでした。
五十万円の出場給については、彼も悪いと思ったのか、後日取り下げてきました。しかし、お金がないという連絡は続きました。
——お金が本当にない。ご飯を食べることができない。携帯が止まる。
天龍さんに同席して頂いた一月二十七日の記者会見の後、残りの二ヶ月分、十万円も前払いすることになってしまいました。

私たちはチケットを売ること、プロレスという興行を恙なく終えることしか考えられませんでした。とにかく、その後の話については、落ち着いてから安田さんと話し合うことにしました。

結果として、試合直前にチケットが急激に動き始め、千百人を越える観客に集まって頂きました。
そして、プロジェクトの初期経費として最低必要だと考えていた、二百万円に近い利益を上げることができました。

試合が終わった後、観客の入りを見た安田さんから、再び「出場給」についての連絡が入りました。
——安田は三試合もした。二十万円では安すぎる。もっと貰うべきだと周りの人から言われている。いない間のサラ金の支払いをしたい。携帯電話代も支払わないといけない。
——あれだけ身体を使って仕事をしたんですよ。ブラジルに行く前に一回ぐらい(パチンコで)勝負させてください。その位の金はもらう権利はありますよね。

試合後、満身創痍の安田さんの姿を見ると、プロレスラーというのが過酷な仕事であることを実感しました。度重なる携帯電話料金支払いという言い訳は信じていなかったものの、興行で利益が上がったことは事実です。
渡航支度金としてさらに十万円を現金で渡すことにしました。結果として、三十万円を彼に支払ったことになります。これが2月12日のことでした。
「本当にありがとうございます。安田はこれ以上金を欲しいなんて言うことはありません」
と頭を何度も下げられました。
しかし、それでは終わりませんでした。
二月末から、安田さんと私たちはブラジルに行くことになっていました。私たちが同行して現地入りし、第一陣のメンバーが生活環境を整えて、順次メンバー が交代で世話をするつもりでした。しかし、三月末に予定されていた娘のAYAMIさんのデビュー記者会見に出席することになっていました。娘さんの晴れ舞 台に出たいという安田さんの気持ちは理解できます。とりあえず、今回は三週間ほどの滞在に短縮することになりました。
翌週——。
安田さんと収益の金額について口論になりました。
どうして、自分が主催者なのに収益の数字を教えてくれないんだと言い出しましたのです。
そもそもは、プレスリリース及び記者会見でも話したように、「お金については安田さんは触らない」という約束になっていました。赤字が出た場合でも、安田さんに知らせず、私たちの責任で処理するつもりでした。
残務処理に追われて、きちんと計算していなかったこともあり、安田さんには収益の数字を教えていませんでした。
丁度この時期に、大まかな収支が出ました。そこで、二百万円近い収益が上がったことを明かすことにしました。さらに、一回目の視察の旅費等で、百万円以上の出費になること。残高については、二回目、本格的な移住の資金に回すのだと使い道を説明しました。
しかし、彼は別の解釈をしたようでした。
先週24日のことです。
「さらに三十万円もらわないと、ブラジルに行かない。そもそも収益の半分はもらわないと最初から引退試合は受けなかった」
ブラジル行きを「人質」にして、こちらからお金を引き出すつもりだと分かりました。
今回の興行が成功したのは、ブラジル行きを信じてチケットを買って下さった方々、また、ボランティアで動き回ってくれた方々の善意の積み重ねがあったか らでした。その善意の元となったのは、安田さんの再生を後押ししたいという気持ちでした。彼にお金を渡すと、ギャンブルに消えてしまうことは間違いありま せん。それは多くの善意を踏みにじることになります。
私たちは話し合って、彼との「交渉」に応じないことにしました。
二月二十六日に彼から「絶対にブラジルには行かない」という連絡が入りました。
それでも、安田さんが気持ちを変えてくれることを願って、我々は成田空港で待っていることを伝えました。
二月二十八日、13時55分発の大韓航空の搭乗受付に、安田さんは現れませんでした。

すでに、Son-God-Cool代表の田崎はブラジルに先乗りして、安田さんたちを迎える準備に取りかかっていました。田崎はこれから現地での受け入れ先、会談を予定していた関係者等に事情を話して、お詫びに回ってから帰国します。
みなで話し合った結果、残った収益については、経費を差し引き、しかるべき施設に寄付することにしました。それがせめて、みなさんの善意に報いることだと考えています。
みなさんのご厚意が水の泡になってしまったことを心からお詫びします。申し訳ありませんでした。
安田忠夫引退興行実行委員会
田崎健太
長南武
岸本勉
東俊介
小林潤子