外務省:hp北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで)を見よう。

北方問題が簡潔にまとまっていますので外務省のHPを是非ご覧ください。
北方四島どころかここまで千島列島から樺太の半分は日本の領土ときちんと外務省のHPに書いてあります。
我々が歴史を学んでも奪われた領土が戻るとは思いませんが、日本人が正しい歴史認識を持つことにより世論にブレがでなくなり国政が動きやすくなるかも知れません。
竹島や尖閣諸島で今同じことが繰り返されようとしています。
引用元: 外務省: 北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで).

ポーツマス条約(1905年)

日露戦争後のポーツマス条約において、日本はロシアから樺太(サハリン)の北緯50度以南の部分を譲り受けました。

2.第二次世界大戦と領土問題の発生
(1)大西洋憲章(1941年8月)及びカイロ宣言(1943年11月)における領土不拡大の原則

1941年8月、米英両首脳は、第二次世界大戦における連合国側の指導原則ともいうべき大西洋憲章に署名し、戦争によって領土の拡張は求めない方針を明らかにしました(ソ連は同年9月にこの憲章へ参加を表明)。
また、1943年のカイロ宣言は、この憲章の方針を確認しつつ、「暴力及び貪欲により日本国が略取した」地域等から日本は追い出されなければならないと宣言しました。ただし、北方四島がここで言う「日本国が略取した」地域に当たらないことは、歴史的経緯にかんがみても明白です。
(2)ポツダム宣言(1945年8月受諾)

ポツダム宣言は、「暴力及び貪欲により日本国が略取した地域」から日本は追い出されなければならないとした1943年のカイロ宣言の条項は履行されなければならない旨、また、日本の主権が本州、北海道、九州及び四国並びに連合国の決定する諸島に限定される旨規定しています。しかし、当時まだ有効であった日ソ中立条約(注)を無視して1945年8月9日に対日参戦したソ連は、日本のポツダム宣言受諾後も攻撃を続け、同8月28日から9月5日までの間に、北方四島を不法占領しました(なお、これら四島の占領の際、日本軍は抵抗せず、占領は完全に無血で行われました)。

(注)日ソ中立条約(1941年4月)

同条約の有効期限は5年間(1946年4月まで有効)。なお、期間満了の1年前に破棄を通告しなければ5年間自動的に延長されることを規定しており、ソ連は、1945年4月に同条約を延長しない旨通告。
(3)サンフランシスコ平和条約(1951年9月)

日本は、サンフランシスコ平和条約により、ポーツマス条約で獲得した樺太の一部と千島列島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しました。しかし、そもそも北方四島は千島列島の中に含まれません。また、ソ連は、サンフランシスコ平和条約には署名しておらず、同条約上の権利を主張することはできません。

それでも日本は色丹島及び国後島からの患者の受入れ

領土問題で揺れる北方ですが外務省は人道的な見地から北方より患者の受け入れを発表、患者の方には罪は無くても、今までロシアのやってきたことが人道的とは思えないので、個人的には微妙な感じです。

引用元:外務省 http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/24/8/0824_03.html

色丹島及び国後島からの患者の受入れ

平成24年8月24日8月27日(月曜日)から,外務省は,北方四島住民支援事業の一環として,人道上の見地から,色丹島の患者1名及び国後島の患者3名の計4名を,市立根室病院(3名)及び市立釧路総合病院(1名)において受け入れることを決定しました。
今回の患者4名については,島側からの受入要請及び患者の病状等を踏まえ,受入れを決定したものです。
北方四島からの患者受入れは,平成10年度から実施しており,平成23年度までに,延べ146名の患者を受け入れています。